―施設情報―
名称 大阪歴史博物館
住所 大阪市中央区大手前4-1-32
電話番号 06-6946-5728
営業時間 午前09:30~午後17:00(最終入館は午後16:30まで)
休館日 火曜日(主期日の場合は翌日休館)、年末年始(12/28~1/4)
料金 常設展大人600円、高校・大学生400円、中学生以下無料(特別展は別料金)
交通案内
電車…
地下鉄谷町線・中央線「谷町4丁目」駅下車②・⑨番出口
バス…大阪市営バス「馬場町」バス停前
お車…阪神高速東大阪線 法円坂出口から約200m
駐車場 有料駐車場あります。85台駐車可能
その他
・地下遺跡の見学は要当日予約。
・ミュージアムショップ、レストランもございます。
オフィシャルサイト 大阪歴史博物館
大阪城のすぐ近くに奈良時代の難波宮、大阪本願寺時代の大阪、大正~昭和にかけての大阪の街並みを、原寸大と縮小模型で再現されていて、その中を歩いてダイナミックに体験できる博物館があると知ったので行ってみました。
受付にて入館料を支払ったらそのまま直通エレベーターで10Fへ行きましょう。10Fから各階へ下りながら見て回る博物館ですね。
ー10Fー
10Fの入り口にある大きなパネル。この裏側で大阪の歴史を映像(約3分間)で学習できるスペースがあります。
映像を見終わったら、そのまま難波宮に世界に足を踏み入れてみましょう。
7世紀中ごろに飛鳥から難波に都が移されました。新しく作られた都は中国の都を参考にして作られ、大きな規模でとても美しい建物が立ち並んでいたそうです。
都の完成から40年ほど後の大火事で、ほとんどの建物が焼失しました。
1954年の発掘調査により難波宮の遺跡が発見され、現在では宮殿跡の中心部は公園になっております。
侍従は天皇の近くで使える役人のこと。
身にまとっている衣服は”礼服”というもので、重要な儀式を行い際に使用されます。
褰帳命婦は天皇の近くで使える上級の女官。
やはり身にまとっている衣服は”礼服”というもので、重要な儀式を行い際に使用されます。
このフロアーの窓は通常閉まっていて中では映像が放映されています。
その映像(約4分間)が終わると自動で窓が開きます。
そして、窓越しに難波宮遺跡を見下ろすことができ、大極殿や八角門、五間門などが一望できます。
窓が開くと太陽の光が差し込んで、フロアー内の雰囲気がガラリと変わります。…美しい。
ここでは実物展示も行われています。古墳時代の難波で発掘されたものや、宮殿跡で見つかった様々な金属製品が展示されていました。
階段で9Fに向かう途中には展望台があり、そこから大阪城を見ることが出来ます。
ー9Fー
9Fでは中世都市の大阪をジオラマで見学することが出来ます。
大阪の町作りに関する物や大阪本願寺御影堂のジオラマ。
四天王寺と門前町、大阪本願寺と寺内町。
安治川橋やなにわ橋の模型などが立ち並んでおりました。
近世の大阪では大坂夏の陣などの動乱の時代が過ぎ去った後、商業の町として発展していきました。パネルでは八軒屋や着船場、堂島米市の紹介がされています。
堂島米市は大坂に集められた米を売買するところで、実物の米を売買する代わりに「蔵座敷」が発行した”米切手(米の引換券のこと)”を利用して米の取引を行っていました。これが現在で言う『デリバティブ取引』につながっていくわけですね。
なお、堂島米市は世界で最初に”先物取引”が行われた市場だと言われています。
これは「覗きからくり」と言われるもので、縁日の際に露店や見せ物興行で使用されたものだそうです。
また下の写真は「御座船地車」というもので、寛政年間(1789~1801)頃に製作されたもので、昭和30年(1955)頃まで住之江区の秋祭りで使用されていたものです。
このフロアーでは幕末安政年間(1854~1860)の船場北端部の生活模様や神仏関係の起請文、貞享2年(1685)頃の堂島新地を描いた屏風などが展示されています。
その他にも江戸時代の薬種の売買の説明や、太鼓や雪踏の底材として需要が多かった皮革産業の説明、住友家による銅山経営についてもパネルで学べるようになっております。
雛人形の歴史や人形浄瑠璃、そこから文楽へのつながりについてもパネルや展示物で解説されていました。
ー8Fー
8Fでは「歴史を掘る特別展示」として、考古学中心の説明がされています。パネルでは地層の出来上がっていく出来方や見方、柱の穴や井戸、ごみの穴から”遺構”を見つけ出しその時代の生活を」推理していく考古学研究者たちの手順や仕事を、子供たちにもわかりやすいように説明されています。
またこの博物館の地下には、今からおよそ1350年ほど前の飛鳥時代の宮殿の遺跡が保存されています。
その一部は「遺跡ガイド」(当日要申し込み)で見学もできますので、参加してみるのも面白いですね。
このフロアーでも昭和12年(1937)年の御堂筋東側の主要建築を縮尺1/18で再現されているものや、7階のフロアーを見下ろすことが出来ます。
生田南水(1860~1934)は、日本の歴史や国学、和歌や俳句などに通じており、当時の大阪を代表する博学者として知られていたそうです。文筆を中心に新聞雑誌への寄稿や「四天王寺と大阪」の出版、芦辺踊や浪花踊の作詞など、数多くの俳画を残しています。
ー7Fー
7Fの入り口です。写真がいくつか展示されており、大正3年頃(1914)の大阪のガス会社、大阪の工場から出る爆煙や住工混在の市街地が見られます。
10Fから続く時空の旅は7Fで終着です。
このフロアーでは大正末期~昭和初期にかけてにぎわった心斎橋、道頓堀などの街角を大きさ、雰囲気をそのままにリアルに再現されています。
撮影スポットも多いので楽しんでみてくださいませ。