―施設情報―


名称     京都市学校歴史博物館
住所     京都市下京区御幸町通仏光寺下ル橘町437
電話番号   075-344-1305
営業時間   09:00~17:00(最終入館は16:30まで)
休館日    毎週水曜日(休日の場合は翌平日閉館)、12/28~1/4
予約の有無  無し
料金
・入場料  大人…200円、小学/中学/高校生…100円、小学生未満…無料
交通案内
電車…
・阪急「河原町」駅下車、10番出口”藤井大丸口”から西へ徒歩約10分
・京阪「祇園四条」駅下車、3番出口”川端四条南西角”から鴨川を渡り徒歩約15分
駐車場    近隣の有料駐車場をご利用ください。
その他
・団体割引、障がい者割引あります。
公式HP    京都市学校歴史博物館


日本の学校教育の基本、小学校。その小学校がどのようにして誕生したのかが学べる博物館があるので、行ってきました。
ここは京都市学校歴史博物館。京都の小学校に残された教科書や教材、教育資料、卒業生が残した数々の美術作品を収集・保存を目的に平成10年に開館しました。
玄関は旧成徳小学校の物。エントランスには「二宮金次郎像」や「二宮金次郎の歌」のパネルが並びます。

この場所は「開智小学校」と「開智幼稚園」の跡地です。
開智小学校は明治2年6月11日(1869)に日本で先駆けて創設された”学区制小学校”の内の一つでした。
開智小学校は平成4年、開智幼稚園は平成29年にそれぞれ並行しています。

一番最初の展示室は映像コーナー。映像(約7分間)とパネルで京都の小学校誕生の歴史や、教育の特徴を学べます。

江戸時代の日本では「寺子屋」と呼ばれる教育の場で、子供たちが”読み””書き”を学んでいました。
倒幕による動乱と都が京都から東京に移されたことによる影響で、京都は衰退していきました。

寺子屋で使用されていた本

明治時代に入ると同時に京都の人々は街の復興と共に教育に力を注ぎました。
そして出来たのが日本で最初の学区制小学校です。
小学校の始まりはきょとだったんですね、知りませんでした。

当時の小学校は学校教育の他に自治体の役割も兼任していました。
展示物は学校においてあった金庫やタンス、火事の際消火活動の目印となる「まとい」もあります。
奥の方にあるのは八坂神社から四条通周辺を撮影した当時の風景です。

ここには石板と石筆が展示されています。
小学校創設当初には神と筆を用いて教育が行われていましたが、開校数年後には就学率が上がるため、当時高価だった紙と筆を伝院に使わせることが困難でした。
そこで使用されたのが粘板岩に木製の枠を取り付けた石板とろう石を加工した石筆。ノートと鉛筆の代わりに黒板とチョークで勉強するというスタイルですね。

ここは教科書の部屋。この博物館の中では一番有名ではないでしょうか?
ここには明治2年(1869)から昭和21年頃(1946)まで使用されていた教科書が展示されています。

明治から大正時代の音楽の時間には、主に風琴で行われていました。
大正時代の終わりからドイツやアメリカ製のピアノが輸入され、ピアノ、ヴァイオリン、大正琴を使用した教育が行われるようになりました。
初めてピアノに触れる音楽の先生が、学校に備品としてピアノが購入されたその日の夜に、嬉し過ぎてピアノの下で寝た先生もいたそうです。
そりゃあ嬉しいでしょう。学校の備品でストラトヴァリウスが購入されたとしたらどうしますか?音楽学校でフォデラのベースが備品で購入されたらどうしますか?
この時代には輸入ピアノやリードオルガンで「故郷」「あおげば尊し」「荒城の月」「赤とんぼ」などが演奏されていました。

京都では明治3年(1870)に理化学の研究教育機関「舎密局」が創設され、それをきっかけに学校教育の一環として理科も取り入れられました。
ここで登場するのが「島津製作所」。
明治8年(1875)、島津源蔵は理化学の研究教育機関「舎密局」で、ワグネルというドイツ人教師から化学や物理の指導を受け、教育用理化学機器を製造販売する島津製作所を創設しました。その当時に学校で使われていた理科実験器具も展示されています。

ここでは「文庫記録」と呼ばれる図書館の記録や文芸読本、西陣織や友禅染、清水焼きなどの伝統産業や日本画の学校教育などの説明パネルや展示があり、また昭和16年(1941)から始まる第二次WW時代の学校教育の概要や金属の回収(昭和18年から金属の回収が始まり、マンホールのふた、ベンチ、鉄柵、火鉢、おもちゃ、お寺の鐘、二宮金次郎像まであらゆる金属が回収された。その金属は第二次WWに使用する道具の加工に使われた。)、空襲のため親から離れて子供だけの集団生活を余儀なくされる集団疎開に関する展示がされています。

最後はこれ。学校給食の歩み。
第二次WW終了後、昭和20年(1945)の日本では食料・薬品など生活必需品が不足していました。新しい教育制度になった学校では、子供の栄養状態を改善するためにララ(:アジア救済連盟)やユニセフ(:国連児童基金)の支援を受け、学校給食が開始されました。

昭和22年(1947)のメニュー。
ララ(:アジア救済連盟)やユニセフ(:国連児童基金)の支援を受け開始された給食。
まずいと有名な脱脂粉乳、大根、ニンジン、缶詰肉を使ったみそ汁。
この他に冷凍サツマイモや缶詰のジュースが付いた。
私たちのお母ちゃん、よし子(YOSIKO)が食べていたのはこの時代の給食ですね。

 

 

 

 

昭和37年(1962)の給食メニュー。
ココアミルク風味の脱脂粉乳、食パン、マーガリン、牛肉、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、マカロニ、グリンピースが入ったカレーシチュー。

 

 

 

 

昭和45年(1970)の給食メニュー。
昭和44年(1969)からは脱脂粉乳付きの学校給食は廃止され、瓶入り牛乳付きの学校給食が始まります。
これにより調理時間に余裕が出来たため、副菜が1品増えます。
瓶入り牛乳、食パン/ジャム、鯨肉の甘露煮、キャベツの煮つけ。

 

 

 

 

昭和45年(1971)の給食メニュー。
瓶入り牛乳、ブドウ入りコッペパン、マーガリン、エビフライ、茹で野菜のマヨネーズあえ、ミルクゼリー。

 

 

 

 

 

昭和53年(1978)の給食メニュー。
昭和53年からは米飯給食が始まりました。
一週間に内に何回かパン食と米飯色が入れ替わりで供給されていましたね。
管理人の時代にはアルミ容器からプラスチック容器に入れ替わったと思います。
写真はごはん、千切り大根の炊き合わせ、みそ汁。

 

 

 

現在の学校給食メニュー。
麦ごはん、ニシンと茄子、豆腐とほうれん草入りのかき玉汁、紙パック入りの牛乳。

 

 

 

 

 

2Fにも一部展示室があり、ここには京都市立開智小学校の残されていた資料を展示しており、開校から並行までの変遷と、明治の学校創設の伝統や精神を残すため、様々な展示がされています。
また、所蔵されている美術品の数々が月替わりで展示されていますので、一度立ち寄ってみるのも良い経験になると思いますよ。

京都市学校歴史博物館で購入したエコバッグ。


裏面。

 


 

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